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”迷ったら稼ぐ”を胸に
休学してビジネスに挑む

コンサルタント 田中 日菜 Hina Tanaka

岐阜県出身、筑波大学情報学群所属で、休学2年目。経営者の父親を超えるために、学生のうちから熱中できる場所を求め、2年生の夏にJBAのインターンシップに出会う。
実力を一気に伸ばすために、休学を決意。現在は食品業界のインナーブランディングや、鉄道業界のブランド戦略の構築、エンゲージメントセミナーの講師を担当するなど、様々なプロジェクトに挑戦している。

JBAに入ったきっかけ

"学生が本気でビジネスができる"環境の出会いで人生が動いた

私は昔から負けず嫌いでした。特に両親に対して、「受けた恩を返さないといけない」という思いを持ち続けていました。父はアパレル事業を営む経営者で、小さい頃から様々な場所に連れて行ってもらいました。その経験を通じて、「父親を超えて、受けた恩を返さないといけない」という強い思いが芽生えていきました。

高校生の時は「父親を超える=父親の年収を超える」という単純な図式を描き、ITエンジニアを目指してプログラミングの学習を始めました。しかし大学進学後、ITエンジニアについて深く調べる中で、給与面での限界を知り、「経営者である父親を超えるには、自分も経営者にならないといけない」という結論に至りました。

その思いから大学のアントレプレナーシップの授業に参加しましたが、事業アイデアを否定され、「ビジネスは独創的なアイデアを出せる人にしかできない」と勘違いして途中で諦めてしまいました。将来への道筋が見えないまま、時間だけが過ぎていきました。

浪人を経て第二志望の大学に進学した私は、「早稲田・慶應の奴らに勝ちたい。こんなはずじゃない」という思いを抱えながら日々を過ごしていました。

転機は、大学のグループLINEにJBAの長期インターン募集の宣伝が届いたことでした。「大学生のうちから、ビジネスに挑める」という言葉に強く惹かれ、すぐさま説明会に申し込みました。

大学近くの拠点で行われた説明会で、同年代の大学生がビジネスについて熱く語る姿を目の当たりにし、「自分もこうなりたい」という強い思いが湧き上がりました。さらに、「一流大学の学生たちと一緒に働ける」という環境にも大きな魅力を感じました。レベルの高い人たちと切磋琢磨できる場所。それこそが私の求めていた場所だと確信しました。

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JBAに入って驚いたこと

もっと深く、本気で。ビジネスへの渇望が、休学という決断を導いた

大学2年生の10月にJBAに入社し、最初はクリニックのサイト構築を担当していました。担当のマネージャーからクリニックのビジネスモデルについて丁寧に教えていただき、UI/UXの専門家によるレクチャー会にも参加させていただきました。少しずつ仕事のやり方が分かってきて、やりがいも感じ始めていました。
そんな中、若手社員やインターン生が集められる合宿に参加する機会がありました。これは長期インターン生や社員が力を合わせてより価値を出すために、様々な議論を交わす場でした。
本音で色々なディスカッションが行われ、長期インターン生から「もっと色んな事に挑戦させてほしい」という要望が出されました。それに対してある社員から、「社内を巻き込むようなプロジェクトに入りたいんだったら、今のコミット量では正直任せることができない。スピード感が違う」という厳しい言葉をいただきました。

その言葉を聞いて、「まだ今の実力では、JBAで面白いビジネスに触れさせてもらえない。自分は足りないんだ」という現実を突きつけられました。少しできる気になっていた自分が、実は出来ている気になっていただけだったことを痛感しました。使えないと言われて率直に悔しいと同時に腹が立ちました。

さらに、別の面でも悔しい思いを抱えていました。休学している同級生が私のマネージャーを務めており、仕事の多くを教えてもらう立場でした。その同級生は案件を管理しながらメンバーマネジメントもこなしていました。その姿は尊敬に値するものでしたが、同時に「なぜ同級生にマネジメントされなければならないのか」という悔しさも感じていました。
この経験から、「もっとビジネスを考える時間を増やしたい。そのためには授業に縛られている場合ではない」という決意が固まりました。合宿から1週間後、社員に「もっとビジネスのことを考えたいから休学します」と決意を伝えました。

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JBAの仕事内容

毎日が試行錯誤の連続。転機となった理念浸透プロジェクト

休学した当初、私は社内広報の企画案を担当していました。最初の頃は本当に大変で、構成案や取材について厳しい指摘を受け続けました。休学を後悔する日もありましたが、その度にマネージャーの「休学を正解だったと思えるところまでやる覚悟を持つ」という言葉を思い出し、諦めずに取り組み続けました。

転機となったのは、大手食品メーカーの理念浸透プロジェクトでした。「新しく作った理念が、全く浸透しない」という悩みから、JBAに相談が来たのです。「田中さんも入ったらいいんじゃない?」というプロジェクトリーダーの誘いで、正直、何が何だか分からない状態でプロジェクトに参加することになりました。

そのプロジェクトで最初に任された役割は、社員30名に対するヒアリングでした。社員の方々の生の声を聞き出して、なぜ理念が浸透しないのか、その原因や企業の課題を抽出することが目的でした。

まともに取材をやったことがなかった私でしたが、「田中さんできるでしょ?」と数名の取材を任されました。何回もロープレを重ねて、取材に臨みました。

初めて企業内部のお客様の声をここまで深く聞く経験をし、徐々に「企業」という実態が見えてくるようになりました。「上層部は何をやりたいのか分からない」「情報が全く足りない」「一方的に経営層が言っているだけで、自分が何をしたいのか分からない」など、大企業でさえもこのような課題を抱えていることを知りました。

さらに、様々な責任も任されました。ヒアリングの分析が間に合わないため、他のインターン生をアサインし、そのマネジメントも私に任されました。

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取材レポートからプレゼンまで。自分の手で掴んだ成功体験

レポートの提出やプレゼン資料の作成も、私が主体となって創り上げました。「お客様に伝えたいこと」などの目的だけ共有され、あとは私が主体的に考えてヒアリングのレポートも提案も考えていくのが非常に面白かったです。正直最初はどうやってレポートや企画書を作ればよいかも分かりませんでしたが、社員に相談して回って、徐々に形にしていきました。

ヒアリングのレポートをまとめ、その結果をプロジェクトリーダーに報告しているとき、「これ、プレゼンも田中さんがやってみたら?」と言われました。

「レポートの話をする田中さんの熱心な様子から、『本当に会社を良くしたい』という情熱が感じられた。だから本番も任せてみようと思った」と後で聞かされました。

プレゼンの日まで、練習を重ねました。リーダーにも何度も見ていただき、最初は「全然伝わらない」と厳しいフィードバックを受けました。プレゼン当日。役員のほかに経営企画部や広報部の部長の方々もいらっしゃり、かなり緊張しましたが、「やるしかない、自分が思ったことをそのまま伝えよう」と覚悟を決め、合計30分間、役員の前で話し続けました。

結果として、プレゼンを聞いていただいたお客様全員から感動の声をいただきました。「良くここまでまとめてくれた」と、絶賛の言葉をいただくことができました。

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これからのビジョン

稼ぐ力をつけ、企業と向き合う。一流の経営者を目指す挑戦。

JBAでの経験を通じて、事業を動かすこと、経営するということの本質が徐々に明確になってきました。
実際の現場で働く社員約100人に取材し、生の声を聴いてきました。それに加えて、日経ビジネスや業界誌などからのインプットを通じて、経営者が何を考えているのか、ビジネスとはどういうことなのかが少しずつ理解できるようになってきました。
さらに、企画書も何十本も書いてきました。筑波大学にいた頃とは別人と言えるほど成長できたと感じています。

目の前の第一目標は「稼ぐ」ということです。将来のビジョンは漠然と「父親を超える経営者になって、親に恩返しする」と考えていますが、正直明確には決まっていません。
それよりも、親に恩返しどころか、自分自身の生活も満ち足りていないほど稼げていない現状が許せません。「迷ったらまず稼ぐ」というのが私の今の方針です。まず、25歳までに年収1000万円。28歳までに年収2000万円を目指す。そんなビジネスマンになるために今は自分の成長に繋がることだけをしていたいと思っています。

「稼ぐ」ためにまずやりたいのは自分のチームをつくること。JBAでチームを持り、よりお客様に価値提供できるようになりたいと思っています。
ヒアリングや現状分析を通じて社内課題を抽出し、解決策を提案し続ける「お客様にとことん向き合う」ビジネスに、JBAならではのやりがいを感じています。
取材で様々なことを聞き、多くの知識を得られることが魅力です。正しく整理・分析すれば、お客様より企業のことに詳しくなることも可能です。そうすれば提案の量や質が向上し、できる仕事の幅も広がっていくはずです。
ただし、現状では自分一人では全く手が追い付いていません。自分の仕事を一緒にやってくれる仲間が必要だと感じています。もっと企業のことを考え続けたいという思いが強くあります。
私は、JBAで企業価値向上に伴走できる一流のコンサルタントになることを目指しています。

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Interview

一人ひとりが
実現したいビジョン