元野球少年の広島大生が、
ビジネスに賭けた”志”
コンサルタント 佐々木 雄大 Sasaki Yudai
大阪府出身。現在、広島大学を休学中。幼稚園から大学3年次まで15年間野球に打ち込んできたが、肘の怪我をきっかけに競技を断念。新たな挑戦の場を探している中でJBAの長期インターンシップと出会った。「ここでなら確実に成長できる」という確信から、大学3年進級のタイミングで休学を決意。現在は休学2年目で、自社の採用活動全般を担当している。
JBAに入ったきっかけ
野球がすべてだった自分が、ビジネスの世界へ
幼稚園から大学3年までの15年間、野球一筋でやってきました。小学校、中学校、高校と、常により高いレベルを求めて進んできました。中学時代には毎朝5時に起き、自転車で1時間かけて外部チームに通う日々を送っていました。
大学も高いレベルを求めて、前年度広島大会優勝校の広島大学に進学。そこでも毎日練習を続けていました。しかし、肘のケガが続き、大学3年の時、ボールを投げた瞬間手が動かなくなってしまいました。プロの野球選手が良く受けるトミー・ジョン手術も受けましたが、プレイヤーとしての復帰は難しい状況でした。
自チームが勝つために何かできることを探し、半年ほど投手コーチをやっていました。しかし、「自分がプレイヤーじゃないなら熱中できない」と思い、引退を決意しました。
部活引退後、熱くなれる環境を求めて、3ヶ月ほど彷徨っていました。バスケやバドミントンなどのスポーツサークル、エンジニアのコミュニティ、大学の起業部など、思い付くところは全て回りました。
その頃、大学3年時にメガベンチャー企業から内定をもらっていたエンジニアの友人から、学生のうちに企業で求められていることを知り、スキルをつけるためにwebサイトやSPアプリ開発、応用情報試験などの勉強を始めました。
また同時に、営業やエンジニアなど20個ほどの企業にも手当たり次第にアプローチしていました。その中でJBAの広島拠点の立ち上げや起業家募集の記事を見つけ、圧倒的な裁量権を持って働くことができると感じました。そこで本気でビジネスを知りに、夏季インターンシップに参加することを決めたのです。
最初の面談時から、即行動することや聞いたことに対してすぐ相談することなど、これまで求められなかったレベルの高さを感じました。このままやりきれれば、必ず成長できると確信しました。
JBAに入って驚いたこと
手探りの中で見つけた、ビジネスという新しい「熱中できる場所」
大阪のオフィスには、同年代のインターン生が10人ほど集められていました。私たちは、化粧品会社の動画制作プロジェクトや素材メーカーの採用ブランディングプロジェクトなど、様々な案件に全員で取り組みました。
社員からは、ビジネスや企業についての話を数多く聞かされました。ビジネスマンとしての基本姿勢や、「会議で話さないと価値がない」という仕事の基本的な考え方、さらには経営者としてのあり方まで。
最初の頃は、全くついていけずにボロボロでした。会議の中では「お前はどう思う」と問われ、自分では言いたいことがあったのに応えられませんでした。常にアウトプットの質とスピードを求められ、徹底的に鍛えられました。
そんな環境の中で特に衝撃を受けたのは、ビジネスというフィールドで大人も学生も本気で打ち込んでいる姿でした。「ここまで本気でやる人たちがいるのか」と驚きました。成果に向けて真剣に取り組んでいるからこそ、それにそぐわない言動には本気で指摘が入る。そんな環境に強く惹かれていきました。
広島大学という、大都会ではない地域で多くの時間を過ごし、野球に全てを捧げていた私は、ビジネスの世界について全く知りませんでした。しかし、このインターンシップで将来のために必要なビジネスとは何か、各業界や企業がどのようなものなのかを広く深く知ることができました。そしてそれは、私が将来やりたいと思っていたものづくりに確実に繋がっていました。
そこで気づいたのです。モノづくりをするにしても、マーケティング・組織作り・採用・教育、全てを知る必要がある。自分がモノづくりでやっていくためには、まずビジネスを知らなければならない。研究者としてやっていく道もありましたが、自分が事業を持ち、責任を持ち、プロダクトを持つためには、ビジネスサイドからものづくりに関わりたいと考えました。
だからこそ、早期に成長する必要があり、「休学して1年やらせてください」とお願いすることを決意したのです。
JBAの仕事内容
組織の未来をつくる仕事に取り組む。
休学してからは、チャンスがあれば飛びついて仕事をやってきました。建設会社の採用ブランディング提案、大手銀行グループの社外に向けた動画シナリオ、スポーツブランディングなど、様々な業界のプロジェクトに参加してきました。
その中でも今、私が一番コミットしているのは自社の採用活動です。採用活動は組織作りにおいてもっとも重要なことだと考えています。しかし、あまり皆がやろうとしない分野でもありました。そんな中で、「自分が成果を出せるのはここだ」と直感しました。
採用活動の重要性は明らかでしたが、当時はまだ採用サイトすら存在していない状況でした。そこで、その受け皿の構築から進めていくことにしました。特に私は、地方の学生の存在を重視しています。そのような環境があり、どこまでもできるビジネスでやりたいと思ったことすらない学生たちに、可能性を伝えたい。一緒にやりたいと思えるメンバーを集めることは、自分自身の成長にも繋がると確信しています。
自分の目指す方向性と、企業が求めていることが完全に一致していました。
しかし、採用活動を進めるにあたって、適当なメッセージは出せません。JBAが目指す方向性と社風、カルチャーを言語化する必要がありました。それは自分一人では考えられるものではありません。だからこそ、社長やマネージャーと何度も打ち合わせを重ねながら、それらを言語化し、採用活動を進めていったのです。
JBAの成長環境
組織の未来をつくる採用で、経営の基礎を学ぶ
将来モノづくりで起業したい。その目標において重要となる"採用"というフェーズに今、深く関わっています。
現状でできていないことを知っているからこそ、この仕事は面白い。JBAを拡大させ、できることの規模を増やすために、人を増やしていかなければなりません。0から1を生み出すフェーズで新しいことができるからこそ、確実に力がついていくと実感しています。
この"採用"へのコミットを通じて、私は様々なことを学んでいます。クリエイティブディレクションから写真の撮影、募集文章の作成、応募者とのやりとり、スカウトの人選まで、やることは山のようにあります。加えて、競合分析や、メッセージの打ち出し方、クリエイティブの作り方なども学んでいきました。
また、社長やマネージャーのチェックはもちろん、デザイナーやコーダーともコミュニケーションを取りながら進めていく必要があります。一つのものを創り上げるまでに、どのように仕事を進めていくのか、誰が意思決定して、誰にチェックを貰うのか。そういった一連の流れを、全て任されながら学んでいます。
競合分析などを重ねていくうちに、企業ブランディングの観点や、マーケティングの視点なども身についてきました。クリエイティブの基準も徐々に上がってきています。
仕事を回すための行動や相談もできるようになってきて、そこでの成長を実感できています。自分にとって本当に良かったと思える環境です。組織を作るということは、会社の未来のために意思決定に関わること。それを中心で担うことで、確実に成長を実感できているのです。
これからのビジョン
経営者になりたい。だからこそ休学してまで結果を追い続ける。
自分は将来、モノづくりに関することで起業したいと考えています。モノづくりにビジネスサイドで関わっていきたい。これは親の影響で、ずっとモノ作りに興味を持ち続けてきたからです。
自分の会社を作りたい。そのためには、ビジネスや経営をしっかりと知らなければいけません。優秀な人材を集めるための組織作りの力も必要になってきます。
今の私には、大学に戻ったところで臨めるような成長機会はないと考えています。今大学に戻っても、何もできないまま20代を過ごしてしまうのではないか。そんな危機感から、2回目の休学を決意しました。
親には再び反対されました。工場長として日本のメーカーで成功を収めた父とは、キャリアに対する考え方が違います。
圧倒的に成果を出して、やり切りたい。まずは目の前の採用を成功させることを目標にしています。企業としてもさらに大きな挑戦ができると信じているからです。
少しずつでも経営に近いところもやっていって、自分が意思決定できる力をつけることを目指しています。それが、私の描く未来への確実な一歩になると信じています。