元陸上選手がクリエイティブで
地方創生を目指す
クリエイティブディレクター 鈴木 勇輝 Yuki Suzuki
福島県出身。高校時代、陸上八種競技で福島県高校生新記録を樹立し、プロ選手として生きていくことを決意。オリンピック強化指定選手に選出され、スポンサー契約の話も出る中、腰の骨を折る重傷を負い、選手生命が絶たれるという大きな転機を迎える。
第二の人生を模索し、大学でカーデザインと建築を専攻。人の体験を作り出すサービスデザイナーを目指すもやりきれず、人生の目的について悩んでいた。そんな中、モンゴルへの留学で出会った自分の人生を本気で考え、行動する現地の学生たちの姿勢に触れ、「このままではいけない」と強く感じる。
帰国後、大手企業を相手に圧倒的な裁量で仕事をができるJBAの環境に出会い、「ビジネスを通じて社会に貢献したい」という想いを強く持つ。現在はクリエイティブディレクターとして、大手企業のコミュニケーション課題をクリエイティブで解決することを目指している。
JBAに入ったきっかけ
陸上選手からデザイナーへ。『本気で生きる』モンゴルの高校生との出会いが変えた人生
中学時代、私は陸上競技部に所属していました。100mを専門としていましたが、部内では最弱でした。そんな私に顧問から「お前は一番にはなれないから全部やれ」と言われ、8種目競技に転向。朝4時からの練習を重ね、福島県で1位になり、高校2年生でインターハイにも出場するまでになりました。
プロとして活躍する道を考えていましたが、「第四腰椎分離症」という腰の疲労骨折を患い、引退を余儀なくされました。そのまま地元の工場に就職しようと考えていたところ、工場を営む父から「大学に行かないのは勿体ない」と言われ、しぶしぶオープンキャンパスに向かいました。
そこで工学部棟に展示されていた建築の模型を見て、衝撃を受けました。「0から1でなにかを生み出す仕事って、めちゃくちゃかっこいい」。この感動をきっかけに猛勉強を開始し、最終的にカーデザインや建築を同時に学べる千葉工業大学への進学を決めました。
入学後、カーデザインと建築、UXデザインなど幅広く勉強しました。「デザインで人の体験をよくしたり、課題を解決する」というぼんやりとした目標はありましたが、「何も決まっていない」という将来への不安が常にありました。
転機となったのは大学院1年生の頃のモンゴルへの短期留学です。先輩に誘われ、何故か面接に合格し、現地で最も優秀な高校で1か月間日本語教師として過ごしました。そこで出会った高校生たちは、「モンゴル初の女性大統領を目指し三か国語をマスターしている」「EVが少ないモンゴルに、EVを導入するための工場をつくろうと物理学を勉強している」など、確固たる夢を持って本気で生きていました。その姿を目の当たりにし、自分の人生に対する覚悟の浅さに大きな衝撃を受けました。
帰国後、自分がなんて生ぬるい環境にいるんだと危機感を覚え、自分が活躍できる環境を探しました。その一環で長期インターンを探しているとき、目に留まったのが「大手500社をデザインで支援し、起業する力を身に付ける」というJBAのメッセージでした。
JBAに入って驚いたこと
本気でビジネスを語る仲間との出会い。研究より実践を選び、決めた大学院中退
長期インターン生として入社し、「一度大阪に来てみない?」と言われ、他のインターン生と話し合いました。
最初に思ったのは、「こんな人たちがいるんだ」ということです。自分の通っていた大学では、自己表現としてデザインをやっている人が大多数で、「本気でビジネスがやりたい」「起業したい」という人が全くいませんでした。「将来起業して、地元の福島を盛り上げたい」と言っても、冷ややかな目で見られる環境でした。
しかし、JBAでは社員やインターン生すら本気でビジネスをやりたい人ばかり。「将来こういうビジネスを起こしたい、だからここにいる」みたいなことを飲み会で語り合える環境で、自分の夢を語っても笑われることはありませんでした。
加えて、社員からプロジェクトの話を聞いて興奮しました。それまでは「起業するためには、大企業に入って社会的インパクトの大きい案件をやって実績を積む、そのためには順番待ちしないといけない」と思っていました。しかし実際は、本当に大手企業の案件ばかりで、順番待ちして昇進を待つのではなく、若いうちから大手へのクリエイティブに関われることを実感しました。
さらに、大学院で研究していた組織や人間関係資本のデザインを、JBAでは実践の現場でやっていました。インターンや新卒など若い世代を集めて経営人材になることを目指していたのです。
組織を大きくするには、大学院での研究より実践でやった方が良いと思うようになりました。気がつけばゼミの報告会よりJBAのミーティングを優先するようになり、もはや大学院で研究する意味がないのではないかと考えるようになりました。結果として、大学院を中退する決断をしました。
JBAの仕事内容
企業を深く理解し、その先の未来を描く。表層的なデザインから、ビジネス起点の発想へ
私は元々デザイナーとして入社しました。しかし、最初の数か月で、デザイナーとして働いているだけでは価値が出ないと分かり、クリエイティブディレクターを志すようになりました。
きっかけは、とある物流企業の社内コミュニケーション支援におけるサイトデザインでした。自分なりに全力で考えたものの、「自分の価値観で"良い"と思うものはクライアントにとって無価値」と否定されました。確かに、私はその会社のことを何も知りませんでした。お客様が求めているのは業績向上であり、表面的なUI・UXの提案だけでは良くなるわけがありません。
大学ではツール・手法の話ばかり学んできました。しかし、ビジネスの現場で価値を出すためには、課題解決につながるアウトプットが必要です。そのためには、企業のことを全部理解しないといけません。時代の流れとともに、その企業がビジネスモデルをどう変化してきたのか、そして、その企業は社会にとってどういう存在であるべきか、そのためには何をすべきか、常に理解し、考えないといけないのです。
今までビジネスどころか、生まれてから大学院中退まで、本当に勉強をしたことがありませんでした。テストもずっと学年で下から数えた方が早いようなレベルでした。経営戦略?中期経営計画ってなに?財務諸表ってなに?といったレベルで、JBAに入ってからは、右も左も何もわかりません。それを必死に勉強しながらやっています。
現在、とある食品メーカーのコーポレートの社名・ロゴのリニューアルのプロジェクトに携わっています。企業の社名やロゴとは、その企業の理念やビジョンが凝縮したもの。それを変えるということは企業の向かうべき先を転換するということです。
そのロゴを変えるためには、企業の過去・現在・未来を理解する必要があります。私はお客様のヒアリングを繰り返し、社史も読み込むことで、その食品企業が消費者の嗜好性の変化から、生き延びるためにマーケットを変えていったことが分かりました。その理解を基に、ロゴ・社名を提案し、お客様に喜んでいただけました。
目指すのは、単に表面的な形づくりではなく、ビジネス全体をどう変えていくのかという設計図としてのデザインです。そのためにひたすらインプットを続けています。少しずつですが、JBAの仕事を通じて、ビジネスとはどんなものなのか、マーケティングとは何か、色々なことが分かり始めてきました。一流のクリエイティブディレクター、そして経営者になるためには、ビジネスを理解しないといけないと実感しています。
JBAの成長環境
チームの力を最大限に引き出すために。
コンサルからエンジニアまで、人を動かす術を学ぶ。
私がどれだけビジネスを理解しても、結局形に落とし、お客様の満足いくものを作るためには、自分では達成できない領域があります。それはスキルを持っている人しかできません。適材適所でやってもらうしかないのです。人を巻き込む力が必要だと痛感しています。
例えばサイト一つ作るにしても、コンサル、営業、デザイナー、エンジニアとワンチームになってやっていく必要があります。お客様の要望を聞き、お客様が真に達成したいことを捉えて、社内でそれを適材適所で進めていく必要があるのです。
正直、今は右も左も分かりません。最初は「サイトってどうやって作るの?」という状態でした。色んな人に聴きながら手探りでやっている状況です。大学でもワイヤーフレームの作り方など学びましたが、実戦でやらないと結局意味がありません。インプットしても分からない。実践の中で学んでいくことで身についていくものがあると実感しています。
コンサル側の実現したいこととWebチームの実現可能性の板挟みにあって、両サイドから怒られることも多々あります。でもお客様にとっていいもののために、その時々の最適な視点に立ってやっていく必要があります。
今は全然できていません。Webチームからもコンサルチームからも怒られ続けています。スケジュールの仕切りが甘過ぎてWebチームに怒られることもあります。けど、みんなに相談しまくっています。そうして実力をつけていっているのだと感じています。
かつ、これは経営者になるうえでも必要な能力だと感じています。自分一人では何もできない。各々のスキルを100%引き出すこと。それは経営者になるために必要な道のりだと思っています。
これからのビジョン
『地元の友人に、能力を活かせる場所を』デザインの力で実現する、福島への恩返し
私はJBAでの仕事を通して「経営」の能力を手に入れ、いずれはデザインの力で地方創生を実現したいと考えています。
考えているというより、地方創生を「誓った」出来事があります。長らく帰省していなかった地元の福島に帰ったとき、中学卒業以来ずっと会っていなかった親友たちに会いました。
そのグループのなかで優秀で頭脳明晰だった二人に「いま何してるの?」と聞きました。「大学で研究している」とか、「地元の会社で2年でマネージャーに昇格した」とかいうと思っていたら、「俺ら工場で働いてるんだよね」と言っていました。
職業に貴賤はないのは大前提ですが、彼らふたりを良く知っている私からすると、少し納得がいかなかったのです。地元福島の田舎には、彼らの頭脳を存分に活かせるような環境はあまり揃っていませんでした。
彼らは生活に特に大きな不満は持っていなかったみたいですが、私は彼らに自身の能力を存分に活かしてほしかった。私はこのとき、「地方創生をしよう」と固く誓いました。彼らが能力を活かせるような環境は、僕がつくろうと。
そのためには、まずJBAで、クリエイティブディレクターとして、大手企業のコミュニケーション課題をクリエイティブで解決することを目指しています。
加えて、JBAでは、インパクトのある企業を立ち上げるには、どうすれば良いのか、どのような選択肢があるのかを探しています。色々な事業に触れる機会もあり、再現性をとって、福島県をはじめとして、雇用を生み出すことができる仕事ってなんだろうって考えています。
絶賛迷走中ですが、自分の強みは何か。自分が社会に放り出された時に、何の価値がある人間なのかをずっと探し続けています。