広島大学の休学生が挑んだ
3億円の次世代リーダー向け
教育用社史
佐々木 雄大 Sasaki Yudai
Summary
従業員2,000人、市場環境の変化により低迷が続いていた食品メーカーD社。そんな中で迎える企業の100周年という機会で、「次世代のリーダーの教育ツールとして社史を作れないか」というコンペの依頼が舞い込む。総額3億円のプロジェクトに挑んだのは、広島大学を2年間休学し、JBAで契約社員として働いている佐々木だった。「なぜその時、その判断をしたのか」「何を信じて、その挑戦に踏み切ったのか」役員陣やリーダーたちの経営判断や社員一人ひとりの意思決定の裏に潜む価値観・考え方探るため総勢50名へのインタビューを提案。単なる成功体験の記録ではない「意思決定の軌跡」を創り上げ、D社のリーダー排出を目指したプロジェクトを紹介する。
100年続く企業の
意識改革を目指す挑戦
3年がかりでお客さまと伴走する大型プロジェクト
「業界大手の食品メーカーからのコンペ。受注できれば3億円で、2年がかりのプロジェクトです。参加したい人はいますか?」社内のチャットツールで、全国に在籍する約50名のインターン生全体に向けたメッセージが届いた。JBAでは新規プロジェクトがインターン生にも共有され、興味があれば誰でも参加できる。
その投稿を見て、真っ先に手を挙げたのは広島大学で硬式野球部のピッチャーとして熱中していたが、怪我をきっかけに、ビジネスの実力をつけたいと休学し、JBAでインターン生として働く佐々木だった。「単純に面白そうだと思いました。それに、この規模の提案に関わった経験はなく、全力で取り組めば必ず成長できると確信したんです。」佐々木の決断に続き、他のインターン生も次々と参加を表明。最終的に社員2名、インターン生5名でプロジェクトチームが結成された。
参加が決まってすぐに、初回のプロジェクトミーティングが開かれた。お客様からの依頼は、「次世代リーダーを生み出すための教育ツール」としての社史制作。社史とは、一般的には企業の歴史を体系的にまとめた記録のことだ。創業からの歩み、製品開発の軌跡、経営理念の変遷など、会社の重要な出来事や成長の過程を後世に残すために作られる。しかし、詳しく話を聞いていくと、A社の狙いは単なる記録以上のところにあった。
創業100年、日本国民のみならず世界に愛され続けてきた食品メーカーD社は、創業以来、不況や原料高騰、消費者ニーズの変化など、幾度もの危機を社員の創意工夫と挑戦で乗り越えてきた。しかし、市場環境の変化により業界5位以下まで転落、社内には若手を中心に閉塞感が漂い、「挑戦しても無駄なんじゃないか」という雰囲気が組織の活力を奪っていた。
D社は、新たなリーダーを生み出すため、100年の歴史に刻まれた経営判断の軌跡を掘り起こすことを決意した。過去の成功と失敗の背景には、「なぜその決断を下したのか」「どのような基準で意思決定をしたのか」という重要な判断基準が眠っているはずだ。それらの意思決定プロセスを言語化し、現代に通じる形で若手社員に伝えることで、自ら考え、決断できるリーダーが育つと確信したのだ。そこで、単なる年表ではなく、次世代のリーダーを育成する「経営における実践的な教科書」として機能する新しい形の社史の制作を目指したのであった
企業の過去と現在を知り、未来を探る
創業の歴史から商品の変遷まで。企業活動を理解する丸二日間の合宿。
コンペの企画書を作成するための第一歩は、膨大な企業情報を読み解き、その企業がどのように現在に至ったのかを深く理解することである。プロジェクトミーティングが終わった週末、チームは丸二日間、自社の会議室に籠もり、D社の調査を開始した。調査範囲は広範囲に及び、D社のコーポレートサイトや採用サイト、株主向けIR情報、ニュースリリース、過去の社史、競合メーカーの情報まで、あらゆる資料を読み込んだ。
佐々木は、D社の主力商品の変遷を担当することになった。発売開始から、クレームによる販売停止、復活まで、商品の歴史を深く追うと、その背景にある社会の変化が見えてきた。商品の売り方が変わり、人々の暮らし方が多様になることで求められる商品も変化。新しい競合企業の参入で、マーケットも大きく推移し続けていた。D社はこうした変化に対応するため、たゆまぬ工夫を重ねてきた。ときには商品の外観を一新するなど、常に時代の要請と向き合い、挑戦を続けてきたのである。佐々木は、たった一つの商品を通じて、ビジネスの世界がこんなにもダイナミックで面白いものだと知り、心が躍った。
各メンバーはそれぞれの視点から情報を掘り下げ、徐々にD社の全体像を浮かび上がらせていった。企業概要と主力商品の歴史をまとめた資料は、ワードで全25枚に及んだ。一方で、企業の理解は深まったものの、本質的な提案をするにはまだ足りない。D社が直面している経営課題をもっと理解する必要があると佐々木はそう考え、社員に「もう一度D社との打ち合わせを設定できないでしょうか。直接お話を伺いたいんです」と申し出た。社員に調整してもらい、広報部長との面談が実現することとなった。
広報部長の言葉から、D社が置かれている背景を知る
「創業から100年。私たちは幾度となく変化に直面してきましたが、今回は状況が違います」広報部長は深刻な表情で切り出した。従来の成功モデルが通用しなくなってきているという。
かつての小売市場は専門店と量販店が中心で、その取引先との関係性を築けば商売が成り立っていた。コンビニやスーパーの台頭で消費者の購買行動が変化。他社が新しい販売網へシフトする中、D社は従来の取引関係にこだわり続け、市場の変化に乗り遅れてしまった。さらに競争の軸も、「商品を店頭に並べてもらうこと」から「消費者に選んでもらうこと」へと変化。コンビニの棚には多様な商品が所狭しと並び、その中から自社ブランドを選んでもらうには、営業・研究開発・マーケティングが一体となった取り組みが必要だった。
「新しい発想で経営をしていくには、過去に縛られない若手に主導権を渡す必要があります。しかし、次世代のリーダーが育っていないんです」特に、業界トップを走っていた時代を知るベテランと、厳しい市場環境の中で入社した若手。両者の間で、会社の可能性に対する見方が大きく異なっている。「今回のプロジェクトは、次の時代を担うリーダーを生み出すための土台作りなんです」
広報部長の話を聞きながら、佐々木は昔JBAのマネージャーから聞いた言葉を思い出していた。「30年間生き延びる企業は0.02%。100年間生き残っている企業なんて奇跡みたいなものだ」。誰もが知る一流企業でさえ、時代の変化の中で存続の危機に直面している。そのビジネスの厳しさとスケール感を目の当たりにし、佐々木は改めて身の引き締まる思いを感じていた。同時に、その厳しい中で生き残ってきた企業の凄さを、絶対に社員に伝えないといけない、と佐々木は改めて実感した。
妥協はしない。
企業を変えるための提案を
伝わるまで徹底的に準備しつくす。佐々木が中心となり、追い込みを開始。
企業理解や広報部長へのヒアリングを終え、佐々木を含むプロジェクトチームは、一般的な社史の形では、D社の本質的な課題解決はできないことの確信を深めていた。いかにD社が経験してきた失敗と挑戦の裏側にある意思決定を抽出するかが勝負になると考えていた。インターン生と社員による議論を重ね、提案の核として位置づけたのは大規模なヒアリング計画。歴代社長から役員、部長、課長まで、D社を創り上げてきた50名以上への徹底的なインタビューを構想した。
プレゼン3日前、プロジェクトチームは最終調整に入った。朝早くから集まり、深夜まで続く、これまでにない密度の高いスケジュールだ。企画書の責任者は一番D社を理解している佐々木が担当した。自身の企業理解をもとに、社員が行うプレゼン骨子を作り、伝え方まで細かく指導していった。「ここは『変革』という言葉ではなく『進化』という表現の方が、D社の企業文化に合っています」「この部分は、過去の軌跡を否定するのではなく、その上に新しい価値を積み重ねるというニュアンスで話しましょう」など。
また、何度もプレゼンの練習を重ねた。朝7時半からプレゼン、8時半からマネージャー向け再プレゼン。フィードバックを反映し、昼頃にはJBAの社長前でのプレゼン。さらに修正を重ね、夜7時から再度プレゼン練習という徹底ぶりだった。「提案したいことは何?何を言っているのか全く分からない」「言いたいことを詰め込み過ぎていて、結論が見えてこない」周囲の社員からは容赦ない指摘が飛んだ。特に5年間の取り組み事項とその目的が複雑すぎて、メッセージが伝わっていないことが明確になった。
しかし、その後のチームミーティングは、前向きな空気に包まれていた。「伝わらないのは当たり前」誰かがつぶやいた。 提案内容への自信はあった。残された課題は「緻密な内容をいかに分かりやすく伝えるか」という一点。しかし伝わりやすさを追求すると、当初の戦略がぶれる難しさもあった。プレゼン直前まで資料修正と練習は続き、コンペ質疑への備えとして50問の想定問答も用意した。そこへマネージャーからメッセージが届いた。「これはD社7000人の意識改革。3年間をかけるプロジェクトだ。『どうせ』という企業風土を変えていく。本当にD社のためになるのか。競合との違いが出ているのか。最後までやり切ろう。21時、最終チェック。」
プロジェクトを通じて、ビジネスの片鱗が見えた2週間
ついに提案日を迎えた。佐々木たちインターン生は、祈るような思いでZoom画面を見つめ続けた。画面越しには社員もお客様の顔も見えない。社員が彼らの作った資料を用いながら説明を進め、無事プレゼンは終了した。
提案から2週間後、D社からプロジェクト受注の連絡が入った。「失敗も含めた率直な経験を聞き出し、その判断の背景まで掘り下げようとする姿勢。単なる100周年の社史ではなく、本気で自社を変えていこうという想いに共感しました」この2週間、インターン生と社員が一丸となって作り上げた2年間のプロジェクトが、ついに始動することとなった。
「企業活動の裏に、こんなドラマがあったとは」。佐々木がプロジェクトを通じて改めて感じたことだ。一つのヒット商品の背後には、開発からマーケティング、営業まで、無数の人々の関わりがある。商品が世に出るまでの道のりが、これほど複雑だとは思いもしなかった。
今では佐々木は、コンビニに立ち寄るたびに、陳列された商品一つひとつに目が留まる。新商品の開発戦略、パッケージ変更の意図、商品配置の理由—。何気なく手に取っていた商品の向こう側に、数えきれない人々の決断と努力があることを、身をもって知ったからだ。
50人の声を分析し、
未来の羅針盤を創り上げる
受注から間もなく、大規模ヒアリングが開始された。対象は当初の計画通り50名。マーケティング、製造、営業など、各部門で積み重ねられてきた判断の連鎖。成功も失敗も、すべては今のD社を形作る重要な要素だった。インタビューを進めるにつれ、資料には残されていない意思決定の機微が、生々しい言葉として集まっていった。
現在、この50名の証言をもとに、どのように未来に活かせる判断基準として整理していくか。大量の情報をAIを用いながら整理、分析している最中である。どう判断基準を言語化するか、どのようなコンテンツを作っているか、D社と議論を重ねている。一人一人の言葉から、次世代に継承すべき判断の理念を紡ぎ出す。その先に、新しい時代を切り拓くD社の姿を取り戻すための挑戦を、今も続けている。