ドクターの「経営と人生」を
支える
医療経営支援事業の
立ち上げ
長井 駿希 Nagai Shunki
Summary
一流企業の支援を通じて蓄積されたマーケティングや採用、組織活性化などのノウハウを生かし、新規事業として立ち上げられた「医療経営支援事業」。具体的なケースとして、大病院で働く眼科ドクターK医師の人生設計から、開業に伴う事業計画の策定、スタッフの採用・教育、マーケティングに至るまで、ドクターの経営と人生に寄り添うJBAの支援スタイルを紹介する。
一流企業への支援ノウハウを生かし、
新規事業として発足した
医療経営支援事業
ドクターは医療のプロだが、経営者としての知識や経験は持ち合わせていない
クリニックとは、内科、眼科、整形外科を中心とした地域に密着した医療サービスを提供する医療機関であり、その数はコンビニエンスストアの2倍の数の約10万軒に上る。これらの運営を担うのは病院勤務の医師から独立した「開業医」である。彼らは医療の専門家として豊富な経験を持つ一方で、経営者としての知識や経験は限られる。しかし、開業と同時に経営者としての手腕が求められ、多くの開業医が経営面での課題に直面している。開業医が直面する経営面での課題は多岐にわたる。マーケティング、人材採用、教育制度の整備など、どれも経営者として避けては通れない重要な課題である。
かつては地域のクリニックや病院の数も限られており、インターネットも普及していなかった。そのため患者は主に口コミや紹介で来院し、マーケティングや広報活動にそれほど力を入れる必要はなかった。しかし近年は、クリニック数の増加やSNSを中心としたインターネット情報の充実により、患者はより慎重に医療機関を選択するようになった。そのため、マーケティングや広報活動の重要性が増している。さらに人材不足や医療サービスの質向上への対応として、採用活動や教育制度の構築など、クリニックが取り組むべき経営課題は増えていった。
そして、開業医であるドクターが一番頭を悩ませているのは、経営全般を相談できる相手の不在である。現状では税理士くらいしか相談相手がおらず、本来の医療に集中したくても、専門外の経営について考えなければならない状況が続いている。そんな課題に着目したJBAは、医療経営に特化した「医療経営支援事業」を立ち上げた。一流企業で培った経営支援のノウハウを医療分野に応用し、医師たちが本来の使命である「地域医療」に専念できる環境づくりを目指した。
クリニックの経営だけでなく、
ドクターの人生を支えたい
ドクターの人生を支えたい
大病院の眼科部長からの相談 「父が経営するクリニックを承継するべきか」
当時、クリニックからJBAが受けていた相談は、Webサイト制作や看板など、クリエイティブ業務の依頼が中心だった。インターンシップでJBAに出会い、その後大学院を中退してJBAに新卒入社した長井は、裁量を求め、医療経営支援事業の立ち上げメンバーとして参画していた。より深くコンサルティング領域に携わりたいと考えた長井は、JBAの社長に直接相談を持ちかけ、今後さらに重要性が増すと考えられる「クリニックの承継」についてのセミナーを企画した。
一般的な会社と異なり、クリニックの承継には医師免許が必須となる。そのため、後継者となる医師が見つからずやむを得ず閉院するケースや、クリニックを経営していた父親が急に亡くなり、突然の継承を迫られるケースなど、様々な承継の課題が存在していた。
そのセミナーで出会ったのが、大病院で眼科部長を務めるK医師だった。K医師からの相談は「父が経営するクリニックを継ぐべきか」というものだった。父のクリニックは開業から26年、地域に根差した医療機関として多くの患者を集めてきた実績があった。しかし近年は患者数が減少しており、K医師は「継いでも上手くいくのか、正直、右も左も分からず自信がない」と悩んでいた。地域で愛されてきた父のクリニックを閉めるわけにもいかず、K医師は決断できずにいた。
「人生設計を一緒に考えませんか?」
直接K医師から相談をいただいた長井は「なんとかKさんのためになりたい」と、複数のマネージャーに案件の戦略を相談。「経営は人生と密接に紐づいている。まずは、そのドクターが人生設計としてどうしたいかを一緒に考えるべきでは」とアドバイスをもらった。クリニック継承の判断基準は「うまくいくかどうか」ではない。そもそも何を持って「うまくいく」とするのか、その定義自体が曖昧なままでは判断のしようがないからだ。クリニック経営は医師個人の人生と切り離せない。だからこそ、その医師が思い描く理想の人生を実現できるかどうかが、最も重要な判断基準となる、とのことだった。
長井はK医師との対話を重ねた。必要な年収、希望する休暇、子どもの教育プラン、医師としてのキャリアビジョン——。ヒアリングの結果分かったのは、「K医師の目標を実現するには今の収入では全く足りない」ということだった。K医師には2人の子供がおり、どちらも医学部を視野に入れ勉強をしているという。。子供の高校受験までには戸建て住宅の購入も必要だ。この理想の実現には、現在の勤務医としての年収2,000万円では足りない。少なくとも倍となる年収4,000万円が必要となることが判明した。
長井は、40年分の収支シミュレーションを作成し、必要な売上目標と貯蓄額を提示した。理想の人生を実現するには、クリニックの継承が必要不可欠であることは数字から明確だった。「モヤモヤしていることがクリアになりました。具体的な数字で何を目指すかがわかり、継ぐことへの腹が決まりました。背中を押していただきありがとうございます。」そうして、事業継承のための準備を進めていくことになったのであった。
「大学病院と同水準の医療を提供したい」言語化できた医療に対する熱い想い
事業継承を決めた後、長井が次に取り組んだのは医療理念と診療方針の言語化だった。K医師は「なぜそこまでやる必要があるのか」と難色を示したが、長井は、この方向性が決まることでクリニックの立地、必要な設備、人員配置、診療スペースまで、すべての具体的な準備が決まってくると考えていた。そこで、忙しい診療の合間を縫って何度も打ち合わせを重ねた。
K医師は眼科部長として白内障手術の実績を積み、その分野に強い思いを持っていました。「白内障は年齢とともに誰でもなります。手術で視界が改善されれば、患者さんの生活の質は大きく変わる。自分が生まれ育ち、お世話になったこの地域に自分の医療で恩返しをしたい。誰もが気軽に相談することができ、大学病院と同水準の医療を提供したい」。心の中にあったK医師の熱い医療に対する思いが少し整理され、目指す先は、患者一人ひとりに最適な眼科医療を追求することと定まった。
この理念の実現には大規模な投資が必要となる。長井は投資の妥当性を検証するため、地域調査を実施した。すると、半径10キロ圏内には十分な地域人口があり、他クリニックの特徴と比較しても「質の高い手術」への需要は確実に存在することが判明した。また、具体的な事業計画も見えてきた。適切な手術のためには、術前の詳細な検査と正確な診断が必要不可欠であり、そのために最新の医療機器を導入することに決定した。
また、高い検査レベルと患者様へのわかりやすい説明を実現するためには、医師一人の力では限界があり、目の機能に関する専門家である視能訓練士を複数人採用する必要があった。単に経験者を採用するのではなく、K医師が実現したい医療に共感し、ともにクリニックを作り上げていく仲間を探していた。そこで、1名は以前の病院で信頼関係のあったスタッフに声をかけ、さらに追加で2名の視能訓練士の採用を検討。長井からの提案で、新たな2名は新卒採用を選択しようと採用方針が決まった。
ドクターの想いを、
経営に落とし込むまで伴走する
地域に根付く医療を創るための資金調達
事業計画実現のためには大規模な資金調達が必要だった。長井は必要な投資額を精査し、医療機器導入に約1億円、オペ室増築・内装工事に3,000万円、運転資金に2,000万円と算出した。
事業計画の作成にあたり、長井は税理士経験があり医療にも精通するJBAの社長に相談を重ねた。その知見をもとに、地域の人口動態と疾患率から月間想定患者数を850人と見込み、15年での具体的な返済計画を組み立てることができた。
いざ融資交渉という段階で、K医師は銀行への説明に不安を見せた。そこで長井は「事業計画を作る中でK医師の医療への想いと、その実現可能性を誰よりも理解しています。銀行との交渉は私に任せていただけませんか」と申し出た。
長井は銀行との交渉で、地域に白内障手術ができる眼科が2件しかないという現状と、高齢化に伴う需要の高まりを具体的なデータで示した。さらにK医師の診療方針と詳細な返済計画を説明し、融資への理解を得ることができた。
スタッフ採用から運営体制の構築へ
K医師は人材採用の経験がなかった。そこで長井は、JBA内の採用コンサルタントと相談しながら、視能訓練士の専門学校や大学向けの求人票やクリニック見学プログラムを作成。K医師の理念に共感できるスタッフの応募が集まるよう工夫した。ただ、応募者が集まった後の課題もあった。面接で何を判断軸にすればよいか分からなかったのだ。
そこでK医師との打ち合わせを重ね、「地域医療への貢献」「技術革新への意欲」「患者さんへの共感力」を採用基準として設定した。特に医療への向学心を重視した。日進月歩の医療現場では、働きながら学び続けることが不可欠だからだ。長井は面接にも同席し、この基準に基づいた判断をサポートした。
人材採用と並行して、クリニックの運営体制も検討していった。地域住民の生活パターンを調査し、他の眼科医の意見も参考にした結果、働く世代も高齢者も通いやすいよう、平日20時まで、土曜は17時までの診療時間を設定。さらに「最高水準の医療を地域に」という理念を実現するため、地域初となる最新医療機器の導入も決めた。
開業に向けた準備と地域との関係づくり
運営体制が固まってきたところで、集客のための施策にも着手した。Webサイトは、K医師の医療への想いと専門性を重視して制作。白内障手術の実績や最新設備を分かりやすく紹介し、オンライン予約も実装した。専門用語を避け、患者目線の説明を心がけ、治療の流れも図解で示した。
採用したスタッフの育成も重要だった。研修では検査説明から術後ケアまでを週2時間かけて練習。特に高齢の患者が多いことを考慮し、説明資料は14ポイント以上の文字サイズとし、医療用語へのふりがな付記など細かいルールも設定。「医療の質はコミュニケーションの質で決まる」という考えのもと、患者サービスの向上に努めた。
そして開業直前の2週間、長井は地域との関係づくりに注力した。近隣の商店街や介護施設と連携し、「目の健康教室」や内覧会を企画。最新機器による無料の目の健康チェックは、地域住民の健康意識を高める啓発活動として位置づけた。2日間で300人を超える住民が訪れ、予想を上回る反応を得た。
数ヶ月に渡る準備期間を通じて、長井はK医師と毎週2回の打ち合わせを重ね、家族ぐるみの付き合いにまで発展した。K医師が目指す「大学病院と変わらない医療を地域で実現する」という医療ビジョンと、院長自身の理想の人生を実現させるための挑戦はまだ始まったばかりだった。
日本には素晴らしい事業、
技術、サービスが眠っている
ポテンシャルを経営の力で、全国に、世界に、広める支援を
クリニック経営の支援を通じて、長井は気づいたことがあった。事業承継、顧客開拓、人材確保、資金調達など、経営者が直面する課題は業種や規模を超えて共通している。老舗旅館の後継者問題も、地方の飲食店の人材確保も、本質的にはクリニックと同じ課題を抱えているのだ。
そして、これらの課題を解決する鍵は「経営者の人生に寄り添うアプローチ」にあると長井は確信していた。経営者が描く理想の人生から逆算して経営計画を立て、その実現に必要な専門知識とネットワークを提供する。このアプローチは、規模の大小に関わらず、あらゆる事業者に適用できる普遍的な方法論だった。
「一つひとつの価値を、より多くの人に届けていきたい」。K医師との取り組みを通じて、その想いは確信へと変わった。老舗の味を次世代に、伝統の技を世界に、地域の魅力を未来に。日本の優れたサービスを世界へと広げていく——その新たな挑戦の第一歩を、長井は踏み出したのだった。